イザイホウ(中編)

「人間らしい生き方とは」。

この命題を紐解くヒントが、
「イザイホウ」の映画に
ちりばめられている氣がする。
寧ろその答えそのものが、
見終わった後に心の奥底を
静かな興奮が波立たせる。

現代に住むほとんどの人々は
島の少女達のように、
生活用水を井戸から汲み上げ
アダンの木々に囲まれた列をなし歩いた事もない、
男性のように一人小舟に乗り、
漁に出たこともない、、

しかし確かにそれらをはじめとした
数多の営みがDNAの記憶に刻まれ、
今の生を深いところで支えていて、
島を歩く姿を見るだけで、
どこか懐かしさを想起させる。

一見何もないように見える
どこまでも続くような一本の
道の向こう側、海の向こう側には
ニライカナイ(あの世)があると
言われている。
それは漁に出たまま帰ってこなかった
男達が旅立った世界でもあり、
アマミキヨという琉球の開祖や、
宇宙生命体がはじめに降り立った
不可知な領域で、永遠にgoogle mapに
刻まれる事はないだろう。

久高島での祈りは、島を守る
女性や子ども、お年寄りを置き、
先にあの世にいってしまった海の男達への
弔いも含まれる。
遭難者の家族による魂鎮めや、五穀の収穫祭、
大漁祈願、害虫払い、月や太陽の祭祀、
星にまつわる古代祭祀など内容は
多岐にわたる。

ここで話が逸れるが、ふとしたきっかけで
小学校一年の常用漢字50文字を目にした。
「火」、「水」、「日」、「音」は
その50文字に含まれているのだが、
「星」や「風」がない事に気がついた。

調べると「星」や「風」は小学校2年の
常用漢字であった。
それが何でもない事のようにも思えるが、
この二文字が現代教育の常用漢字で一年
遅れて習うという事は何を意味しているのか。

祭祀形態は時代によって変われど、
かつては「星」や「風」にまつわる祭祀が
あったに違いない、そう直感した。
「星」や「風」はなんの象徴か。
音にならない先祖の声を聴き、
ビジョンを描く霊性と呼べる存在なのか。

「エーファイ」と神がかったとしか思えないような
甲高い声を女性達が繰り返し連呼し、
両手を握り合った手が丹田の周りを上下運動する。
直線は円となり、右回りに円運動を始めた。

肉体の居場所、渋谷の中心地。
魂の居場所、久高島の祭祀場。

イザイホウの祭祀が始まった。

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2015-01-12 | Posted in エッセイNo Comments » 

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